「お客様の想いをカタチに」
March / April 2026

1
目立つことが好きで広告マンに憧れた一人の若者は、半世紀を経た今、
“ラジオの向こうの誰か”に温もりを届ける存在になった。
その名はヒロ寺平。リスナーは親しみを込めて「ヒロT」と呼ぶ。
「P×P talk」は、当社代表廣川信也が各界で活躍するリーダーと、ビジネスや人生について語り合う対談企画です。
今回の対談のゲストは、ラジオDJ ヒロ寺平氏です。半世紀にわたり”温もり”を電波に乗せてきた関西ラジオ界のレジェンド、ヒロ寺平氏。引退後も全国放送にカムバックし「はがきと音楽と温もり」を届け続けています。今回は「オール or ナッシング」――その言葉に宿る生き様と情熱の真意に迫ります。
ラジオDJ
ヒロ寺平氏ひろ てらだいら
1951年大阪府出身。関西学院大学商学部卒業。楽器販売商社や英会話教室の運営を経て、関西を代表するラジオDJへと転身。FM802やFMCOCOLOでの活躍後、2019年9月に引退。5年後の2024年にNHK-FMの全国特番『ヒロTのポストカードミュージック』で、ラジオDJとしてカムバックし、現在に至る。
01
人生を前へ動かす立派な理由。
ヒロ 生まれは千日前。いわばミナミの”栄資(ええとこ)のボンボン”で小学校は帝塚山学院。大阪市立南中学(現・心斎橋ビッグステップ)に通う頃にはベンチャーズ、ビートルズ、グループサウンズが一気に押し寄せ、「いつか俺もキャーキャー言われたい!」と本気で思い、大学ではセミプロ級のドラマーになり、上田正樹やモップスと対バンもしました。
でも大学4年の時に出演したプロへの登竜門だった桃山学院大学のオールナイトコンサートでは、愛知学院大のフルバンドと上田正樹の間に挟まれ、僕らだけ”見事にトイレタイム”。そこでようやく気づいたんです。「このままじゃ食えない。就活もしてない。どうする? ……そや、電通入ったらええやん」と。
廣川 なぜ電通に。コネでも?
ヒロ コネなんて一切ないですよ。電話したら受付の女性は爆笑、「採用は終わってます」でガチャ切り(笑)。なぜ電通にこだわった理由は、小4のときに寿屋(現サントリー)の「トリスコンクジュース」のマスコットボーイに選ばれて地下鉄の中吊り広告や新聞、TVCMにも出て、それらの現場で見た電通マンがとにかくかっこよかった。ポラロイドでバシッと決めていく姿に完全にやられたんです。

ヒロさん出演のトリスコンクジュース ポスター(小学校4年生ごろ)

中学3年生ごろのヒロさん
02
継続は「怯む知恵」で守られる。
ヒロ 電通は諦め、家業の楽器問屋と叔父の「ヤマキギター」に目を向けました。英語が得意だったので「商社を通さず輸出すれば利益が出る」と考え、家業に貿易部を立ち上げるも、後発が勝つには”バイリンガル級の英語力”が必須だと痛感。そこで商社経由での取引先のカナダの代理店に直接電話して、「最低賃金でいい。修繕もできるから雇ってほしい」と売り込んだら即採用。ビザまで用意してくれました。昼は倉庫、夜は夜学という2年間。寝言まで英語になるほど鍛えられて、”完全バイリンガル”の基礎ができました。
ただ、ギターというビジネスは終わっても、僕のデザインしたギターは今も世界で健在。1978年以降のDAIONギターは今でも約4,000人が愛用し、コミュニティや公式サイトまで存在し、2024年10月には、長男と一緒にダラスの会合に参加してきました。
(「DAION」の公式サイト https://www.daion.com/)
ヒロさんがデザインした「DAION」ギターのカタログ(表紙と内ページ)
03
ヒロ 「英語と音楽」という武器だけは残ってた。まず「食うために英会話をやろう」と決めました。カナダで学んだ”生きた英語”は細かな文法ミスをいちいち正さない。I go swimming yesterday. でも GoをWentにしなくても”yesterday” があれば十分通じる。だから僕は、子どもが間違いを恐れず話せる英語を教えようと。
アメ村のマンションに英会話スクール「PUMPKIN」を立ち上げ、家内のへそくり200万円でスタート。通勤時間に真っ赤なチラシを難波・心斎橋・淀屋橋で配り、朝9時には道に捨てられたそのチラシを回収する毎日。結果、開校前日に100人の生徒が集まり、「これで食える」と胸をなで下ろしました。ところが来たのはほぼ会社帰りのOL。教室が埋まるのは夕方6時半からで、昼間にぽっかりできた”空白”を埋めよう。何ができる?ドラムで鍛えたリズム感がある。英語もできる。音楽の善し悪しも分かる。―この掛け算なら何ができる?「せや、ラジオDJやろう」。
廣川 まさに”因数分解”が導いた次の道ですね。
ヒロさんが運営していた英会話スクール「PUMPKIN」のチラシ(当時のもの)
04
大阪の”寄せたらへん文化”とは対照的に、東京は驚くほどラジカルで貪欲。DJの実績がほとんどゼロの僕を太郎さんは大胆に売り込み、NHKはなんと全国ネット番組を即決。それをきっかけに、何百回叩いても開かなかった在阪FM局の扉が開き、昼ワイドを任されました。しかし、今でこそ当たり前のリズム感と英語で魅せる”イントロ乗せ”も、当時の在阪FM局では、「ながら聴取の邪魔」と理解されず、おとなしい演出に徹するしかなかったんです。
廣川 東京のラジカルさと大阪の”寄せたらへん文化” 、よくわかります。僕も1980年代から東京で仕事していますが、大阪弁丸出しでも「面白い!」とすぐ受け入れてくれる一方、東京から大阪に来た人は「やりにくい」と戻るパターンも多い。
05
相手の”断る理由”を消し去ること。
廣川 まさに”待てば海路の日和あり” 。ヒロさんを黙って見ていた人がいたんですね。
ヒロ お会いすると、いきなり24時間×7日の”まっ白なタイムテーブル”を差し出され、「好きなところに番組を入れてください」と。さすがに度肝を抜かれました。ただ僕にも条件があった――DJだけでなく、選曲・構成・ミキサー・制作、すべて自分でやること。普通なら通らない要求ですが、802はのけぞりながらも「分かりました」と受け入れてくれた。
最初、”ラジオの顔”とも言うべき朝の帯(6:00〜11:00)を打診されましたが、当時は東京の仕事が多く断念。すると802は即座に「横が無理なら縦で」―金曜朝6時から夜7時まで、13時間ぶっ通しの”縦ワイド”。正気とは思えませんでしたが、好奇心が勝ちました。「これを受けるのは冒険や」と迷いもあったけれど、もはや断る理由は1つも残っていなかった。こうして1989年6月1日、僕の声が「FM802開局DJ第1号」として電波に放たれました。
その後、日曜『OSAKAN HOT 100』(12:00〜15:00)を10年、そして縦帯から横帯へと移り、さらに朝帯『HIROT’S MORNING JAM』が始動。気づけば”802の顔”と言われるようになっていました。
06
そして「いいもの」が生まれる。
ヒロ 細部までは知りませんが、まず法改正で「大阪の民放FMは1局だけ」という縛りが解けた。東京では1988年にJ-WAVEが生まれ、「関西も2局目をつくらなあかん。それも若者カルチャーで!」と関西の財界は盛り上がったらしい。そこでサントリーの佐治敬三さんが旗振り役となり、複数企業が共同出資し、在阪各局から精鋭が集まって802が立ち上がった。しかも資本側は「金は出すが現場には口を出さない」と線を引いた。だからこそ”802らしさ”が自然と育ったんです。
ヒットしていても”802らしくない”曲は外れる。唯一の基準は「曲がいいかどうか」。出版部門も持たず、レコード会社とも対等な姿勢を貫いたからこそ、802が育てたアーティストは本当に多い。
廣川 802名物の「ヘビーローテーション」も、ヒロさんの”推し”が反映されているのかと思っていました。
ヒロ いや、まったく。あれは完全に民主主義です。各番組の担当者が候補を出し、編成部がまとめて聴き、「今月はこれで行こう」と決める。得票数は関係なく、1票の曲が選ばれることもある。純粋に”曲の力”だけ。僕自身、長い在籍期間で通ったのは3曲ほど。その中でよく覚えているのが、インコグニート “Don’t You Worry ‘Bout a Thing”。決まった瞬間は、そらもうガッツポーズでした。
ヒロ 「ヘビロテ」も「バンパーステッカー」も実はアメリカ発祥。日本になかった文化を最初に紹介した局が802なんです。音楽だけでなく”カルチャーそのもの”も街に持ち込んだんです。
廣川 「いいものに出自は関係ない」 そこが802の本質だったわけですね。
一世を風靡した802のバンパーステッカー
07
その先に心が触れ合う「人」がいる。
ヒロ 逆です。すべては曲から始まる。彼らをデビュー前から知っていても、まず向き合うのは「楽曲」というモノ。そこで心が動き、「こんな曲を作る子はどんな人なんやろ」と興味が”人”へ広がる。会って話して空気感が合えば、そこから関係が転がり出す。「モノ」がしっかりしていれば、その先に”長く続く関係”という「コト」が生まれるんです。
廣川 素心を動かす曲と、そうでない曲の違いは何でしょう?
ヒロ 勘や嗅覚ですね。時にはエゴもある。拾えなかった名曲も山ほどあるし、たまたま取り上げた曲が世に出たこともある。理屈では語れません。
廣川 具体的なアーティストを挙げて頂けますか?
ヒロ 森山直太朗くんとは、「作品」を雑に扱われるという”境遇”を共有している。大阪に来た時、「待っとき、今すぐ聴く」とその場でCDをかけ、「この子には何かある」と感じて、1年半呼び続けた。『さくら』よりずっと前の話。ギターが弾き込むほど鳴るように、声も同じで、久々に聴いたら”体が鳴っていた”。
ゆずは自力で爆発する力があったから、僕は少し触っただけ。コブクロには「ハモリが課題やな」と言ったら、後に「叱咤激励のおかげです」と。押尾コータローくんのタッピングは早くから見抜き、ステージ転換中に袖で弾かせて「僕の隠し玉です」と紹介した瞬間、空気が変わり一気にメジャー街道へ。
廣川 ある番組でヒロさんは「飛び立つ準備も、エンジン整備もできている飛行機たちの”滑走路”になりたい」と仰っていましたが、まさに今のお話ですね。僕たちパッケージ屋の使命も同じです。つかい手=消費者はまず、パッケージに包まれた”モノ”に心を動かされる。それはやがて、「これを作ったのはどんな人なんだろう」という、つくり手=”人”への思いへとつながっていく。ヒロさんがアーティストとリスナーの間に立つように、僕たちもまた、つくり手と使い手を紡ぐ”媒介者”でありたいと願っています。
(左)押尾コータロー氏と/(右)森山直太朗氏と
08
「ライフタイム・リスナー」づくりの”チャンス”へ。
ヒロ COCOLOの原点は1995年の阪神淡路大震災です。日本語がわからず情報難民になった在日外国人を救うため、関西財界が立ち上げた多言語FM局。ただ素人集団で、数年で限界となり、802にSOSが入り、802スタッフが常駐してテコ入れしたものの、最終的には802が”吸収”。日本で初めて一社が二波を持つFM局が誕生しました。
このとき802のブレーン・栗花落さん(前出)が描いたのは「二波の役割分担」。802は”18歳の感性”がスローガン。しかしリスナーもDJも年を重ねる。ならば802は若い感性へ軸足を戻し、COCOLOは”大人世代”を受け止める。人生の流れに寄り添い、二局でシームレスに伴走する――という戦略でした。そこで僕にも声がかかった。「20年802を引っ張った。今度はCOCOLOの朝を頼む」と。同じ会社でスタジオも隣同士。だから移籍を決めました。ただ条件はひとつ。後継者は自分で選ばせてほしい。そこで”大抜卓人”を指名。そして、同時間帯に「ヒロ=COCOLO」「卓人=802」という構図が生まれ、802はより若い層へ、COCOLOは”深い年輪を持つリスナー”へ――二局が競合せず、それぞれが役割を全うできる体制が整いました。
廣川 多くの経営者が語る”ライフタイムパートナー(生涯顧客)”の発想ですね。顧客の年齢に合わせブランドも器も広げていく。802はCOCOLOという新しい器を持ったことで、リスナーの人生の流れを途切れさせずにつなぐことに成功した、と言えますね。
09
“引退”があってもいい。
ヒロ いや、道上洋三さんや浜村淳さんを超えるまで続けるつもりでしたよ(笑)。本当は、オンエア中に声が突然ふっと途切れ、そのまま倒れる――そんな最期が夢やった。でも、時代がそれを許さなかった。デジタル化が進み、ラジオは”紐付き電話”のような存在になり、スポンサー構造も変わった。そして開局当時の「自分の言葉でしゃべる」という僕の原点が、少しずつ揺らぎ始めたんです。だから決断した。”ラジオがこれから生き残る道”を示すには、あえて僕が身を引くことも必要や、と。
2019年、ヒロ寺平はCOCOLOの朝から降板し、静かに表舞台を去った。それは逃避ではない。あの時代のラジオに向けた、彼なりの”最後のラブレター”だったのかもしれない。
10
ヒロ 大学卒業後、電通への憧れ、カナダ渡航、ギタービジネス、英会話スクール、FM802、FM COCOLO…と走り続けてきたので、まずは「家族と自分の時間」をつくりました。ダイビングのライセンスを取り、ケアンズや石垣島で潜り倒す。やってこなかったことを一気に取り戻すような毎日でした。そんな時、NHKから突然電話がありました。2023年11月3日、aikoデビュー25周年特番『今日は”aiko”三昧』への出演依頼です。オンエア後、不思議な高揚感があった。「なんでこんな気持ちよかったんやろ?」と自己分析してわかりました――CMが一つもなかったこと。スタジオに”イヤなバイブス”がまったくなかったんです。
廣川 その感覚があったからNHKで新しい番組をやろうと思ったのですか?
ヒロ そうなんです。だからその後、自分で企画書を書いてNHKに持ち込みました。「手書きのはがき一本勝負で4時間半」。メール全盛の時代に、あえて逆張りです。
廣川 それを受け入れるNHKもすごいですね。
廣川 この番組は、リスナーにとって”入口”がオンエアの何カ月も前にある。思い出を辿り、曲を思い返し、一枚のはがきに実名で託して投函する。そしてヒロさんに読まれ曲が流れた瞬間が”出口”。読まれなくても、その行動によってリスナーの人生が再び息を吹き返す――唯一無二の番組だと思います。また、番組スタート時のTV番組で、あるリスナーがヒロさんのことを「大きな応援団が後ろにいるみたい」と言っていたのも印象的でした。
ヒロ 嬉しいですね。ただ今のリスナーは”ラジオ世代”ではなく”ストリーミング世代”。だからラジオとネットの共生が必要。でも、大事なのは技術ではなく”体温”なんです。デジタルは軽・小・短・薄、ラジオは重・大・長・厚。どちらが正しいではなく、その間をつなぐものがいる。僕はその象徴として、琉球紅型作家・池間真裕子さんの葉書に、採用された方の実名と僕のサイン、シリアルナンバーを入れて郵送しています。「たかがはがき、されどはがき。」”世界に一枚だけのプライスレスな贈り物”。デジタルでは絶対に再現できない”重さ”と”温もり”が宿っているんです。
リクエストが採用されたリスナーに送付しているシリアルナンバー入りのポストカード(番組名:ヒロTのポストカードミュージック(NHK FM))
11
まるで「無意識」に見える自然な所作。これが「プロ」。
ヒロ 結局は”自己管理”です。朝6時の番組を20年やっていた頃は、「NHKニュース7」を見た直後に就寝、午前3時5分起床。その”5分”が命なんです。その後オフィスで書類を片付け、802へ。オンエア準備は最小限。最初の2曲とオープニングだけ決めて、あとはリクエストの流れに身を委ねれば、曲もトークも自然に組み上がってくる。
廣川 言葉の引き出しは、どうやって生まれるのでしょう?
ヒロ “常識と経験の毎日積み重ね”です。それにより必要な瞬間に言葉がスッと落ちてきます。
廣川 なるほど。”落ちてくる”のですね。プロとは、徹底した自己管理という高い「意識」の先に、あたかも「無意識」のように立ち上がる自然な所作――まさに”踊りの型”のようなものなのですね。
FM802のブースで笑顔のヒロさん
12
「やめるとき」は未練を断ち切る。
ヒロ ええ。攻めるときも、やめるときも”オールor ナッシング”。曖昧に生きるのがいちばん苦手。大学の客員教授も興味はあったけれど、コマに縛られるなら無理。70を過ぎてほろ酔いが楽しめなくなった瞬間に酒もやめた。タバコも同じ。やるかゼロか、それだけです。英会話スクールPUMPKINを始めたときも、南中学跡地のビッグステップでワンフロア借りるために借金を背負い、”生きるか死ぬか”で飛び込みました。ダイビングで水深15mのエア切れを経験したときも、「これはもうやめよう」と即断。“やってみなはれ”で挑戦し、やめるときは迷いを断ち切る。それが僕の生き方です。
廣川 今は「自遊人」がベースで、そこにNHKの番組が少し加わったバランス、という感覚なのですね。
ヒロ そう。今は”攻め”と”ブレーキ”の調和がちょうどいい。定期的ではない祝日の『ポストカードミュージック』を一本一本、納得いくまで作り込む――それが今の僕の大団円です。
廣川 1951年生まれのヒロさんの働き方は、同世代の経営者にも大きなエールになると思います。本日は本当にありがとうございました。
対談当日にお土産としていただいたアルコールインクアート

オフィシャルブログ
https://www.ameba.jp/profile/ameba/hiroteradaira/(外部リンク)
Instagram
https://www.instagram.com/hiroteradaira/(外部リンク)
メールマガジン配信開始のお知らせ
廣川ではアイデアのヒントになる「モノづくり」の発想や企画をご紹介し、多くの方が「こんなものが欲しかった!」と思える商品づくりを応援しています。ぜひメールマガジンをご活用ください。
2
食シーンを広げる、深型・二段構造の冷凍弁当容器
仕事、育児、家事に忙しい日々を送る方々へ、体もココロもいたわる商品として展開しており、主に女性をターゲットとしています。忙しい日常を支える冷凍ストック弁当の需要が高まる中、市場には平たく画一的な容器が多いのが現状です。そこで同シリーズでは、「ご褒美として選びたくなる冷凍弁当」を目指し、深型・二段構造のオリジナル容器を採用。従来の冷凍弁当ではあまりなかったメニューの幅を広げ、食シーンそのものをご提案しています。
携帯性が高く片手で開封できるパウチ「Easysnap®」を使用した「オラプラ液体包帯口腔用」がレッドドット・デザイン賞とグッドデザイン賞をW受賞!
・コンパクトで携帯しやすいスリムなカードタイプ。
・上部のつまみを片手でV字に折り曲げると開封できる「Easysnap®」パウチを採用し、衛生的に使用できる。
・綿棒に直接適量をとり塗布できる点で、利便性、衛生性、ユニバーサルデザインとしての優れたデザイン性。
<Easysnap®の特長>
・片手で折り曲げるだけで簡単に開封できる
・衛生的な1回使い切りタイプ
・手を汚さずに開封可能
・スリムで携帯性が高い
これらの特長により、「Easysnap®」は「入れ物」ではなく、ブランドの考え方を伝えるツールとして機能します。当社の「Easysnap®」は、美容液、保湿クリーム、洗顔クリーム、シャンプー、リンス、アルコールハンドジェルなど、多様な商品に採用されています。今回の世界的な評価を機に、さらなる展開を進め、生産者と消費者双方のニーズに応える商品開発を続けてまいります。(パッケージ事業部)
世代をつなぐコラボレーション設計 〜不二家×メゾ ピアノのコラボレーション企画 〜
当社は、企画意図・ターゲット世代・ブランド親和性を踏まえたマッチング設計を行い、コラボレーショングッズ「メゾ ピアノ×ミルキーポーチ(オリジナルチャーム付き)」の企画・製作を行いました。この取り組みにより、不二家の伝統的な価値観と、メゾ ピアノの持つ可愛らしさとファッション性が融合し、幅広い世代に向けた魅力的な商品が誕生。両社のファンに新たな体験を提供するとともに、それぞれのブランド価値の相乗効果を生み出すことに成功しました。キャラクターやブランドは、装飾ではなく、世代を横断するマーケティング資産です。当社では、企業同士の強みをつなぐことで、新たな顧客接点と価値を生み出すコラボレーション提案を行っています。ブランド間の化学反応を生み出すパートナーをお探しの方は、ぜひお気軽にご相談ください。(プロテック事業部)
3
取り組みの第一弾として、当社オリジナルブランド「ドキドキくじ」の展開やPOP-UPショップの企画・運営を通じて、日本ブランドの魅力を現地で体感できる有償プロモーションを推進していきます。また、米国市場への進出を計画している企業や、自社商品を使ったトライアル販売の実施を検討している企業には、当社のPOP-UPショップ機能を利用してマーケティング調査に対応することも可能です。もちろん、ショップで販売する商品の企画提案から製造まで一貫して対応します。
こうした取り組みの根底にあるのは、廣川グループが大切に育んできたモノづくりの独創性です。今後は、HIROKAWA USA, INC. を事業推進の中核とし、米国を中心とした北米市場での事業拡大を図るとともに、現地ならではの視点を取り入れて、日本企業や日本IPの価値を世界へと伝える架け橋となることを目指します。
4
米国ではマットレスは現在ほぼ100%が埋め立て廃棄されており、寝具メーカーはいかに循環型に移行するか知恵を絞っている。同地のEDEN(https://www.eden-cellyfill.com/(外部リンク))というクッション・緩衝材メーカーは、ウレタンフォームではなく、大豆由来やセルロース由来のクッション材でマットレスを作っている。製品寿命が尽きた際には、ジッパーを開き、クッション材だけを簡単に取り出せるモジュール式のマットレスを販売している。クッション材はGHG排出量を減らすために植物由来の油 (大豆、ヒマシ油、トウモロコシ油) に転換され、繊維やスチールコイルなどの部材は再利用しているという。
■年間購読料60,000円(消費税別)
■発行元:株式会社パッケージング・ストラテジー・ジャパン
〒215-0017 川崎市麻生区王禅寺西3-3-11
代表者:森 泰正
TEL : 080-2140-7508
Eメール: moriy.psjp02@gmail.com
5
生産拠点増強プロジェクト 竣工
今回の設備拡充により、生産機能と物流機能の双方が一層強化され、供給体制の安定化と効率化が進むことで、これまで以上に安定した商品流通を実現できる環境が整いました。多様化・高度化する市場ニーズに対しても、より柔軟に対応できる体制を構築しています。今後も私たちは、ものづくりの現場から品質と信頼を積み重ね、お客様のニーズに柔軟かつ迅速にお応えできる体制のさらなる充実を図りながら、高品質な商品を安定的にお届けすることで、社会とともに持続的な成長を目指してまいります。
6
ほろほろ食感の優しいお菓子、その世界観を明確に表現して
商品が想像できるパッケージ『駿河ほろりん』
地元の食材を使用した「戸田塩」「千本松きなこ」の2種類の味があり、パッケージにも味をイメージした淡いカラーが使用されています。独特な繭型の紙製容器で、商品の特長であるころんとした丸みを帯びた優しい見た目のパッケージです。どんなお菓子か知らなくても、商品名とパッケージだけで食感や味わいを想像することができ、納得して手に取れるパッケージデザインです。
住所:〒410-0041 静岡県沼津市筒井町1-3
TEL:055-924-6250
営業時間:8:30~19:00※年中無休
サイト:https://www.gashinen.com/(外部リンク)
7
持続可能性と商品価値向上を両立する、
新時代のパッケージソリューション「SILBIOシリーズ」
8
HirokawaUSA発足の地、アメリカからお届け!
私たちはハンバーガーやタコスをオーダーしましたが、どのメニューも日本に比べてサイズが大きく、ボリューム満点の食事が楽しめました。訪れた日はちょうどワールドシリーズ第7戦が行われており、ドジャーズファンが集まってテレビ中継に夢中になっていました。ドジャーズがブルージェイズに劇的な逆転勝利を収め、店内は大盛り上がりでした。アメリカに行かれた際は、ぜひ足を運んでみてください。
住所:226 Standard St, El Segundo, CA 90245
TEL:(310)322-2255
営業時間:10:30am~12:00am(月~木)/9:00am~1:01am(金~日)
9





